激務!!しんどい!!超つらかった私が幸せに働けるようになるまで。

看護師になって十年以上が過ぎました。

この仕事をしていて
よかったこと、嫌だったこと、後悔したこと、楽しかったこと、嬉しかったこと
学んだことがたくさんたくさんあります。

 

私が今まで経験してきたことが
少しでも、誰かに勇気を与えることが出来ればいいなと思います。

 

こんなに人間として不完全すぎる人でも

看護師を続けていくことが出来るんだ、私ならもっと大丈夫かも!

と思っていただけると嬉しいです。

自己紹介

私の紹介をしたいと思います
福岡県で育った36歳女です。

私の家族は、私と夫と2人の子供がいます.

趣味は多すぎて自分でも把握しきれていないんですが
今はあな吉手帳というのを作りこむのが楽しいです。

 

自分でもよく看護師を続けているなと不思議なくらい
ずっと何かに対して「嫌だな~」と不満を抱きながら人生を歩んできました。

 

正直

20歳以降の自分の人生というものを想像できませんでした。
生きつづけていることを想像できなかったんですよね。

 

不満は多々あったけど
私をここまで導いたのは
患者さんや助けてくれた多くの同僚との出会いでした。

 

こんな私が生きてこられたのは
私を助けてくれる人にとっても恵まれていたからなんです。

生い立ち

私が生まれた時、実家は裕福な方でした。

さらに祖父母も裕福な家でした。

でも昔、父親が株に失敗して借金を抱えたらしく
物心ついたころから

 

「うちにはお金がない。借金がいっぱいある。お父さんが株で失敗したせい。」

という強烈な記憶が残っています。

 

今のところ、裕福な状況は私には受け継がれなかったようですね。

私は長女で、2つ下に妹がいて、年の離れた弟がいます。

3人兄弟です。

母のこと

母の両親は母親が物心つく前に亡くなっていました。

私のじいちゃんとばあちゃんは父方にいる二人だけでした。

 

私たちが幼いころ、父親は単身赴任が多く
母は誰にも頼らず1人で子育てを一生懸命していたようです。

 

「自分には親がいないから頼る人がいなかったのに、あんたは楽やね」
と今でも良く愚痴を聞かされます。

 

母は少し変わっています。

陰口がものすごくて

仲のいい人の悪口を、私たち子どもに聞こえる所で言うんですね。

 

お隣さんのこととか、子供会の人の悪口とか。

 

でも表面ではいい人ぶって笑顔で接したり
気を使っていろんなことを引き受けてはその愚痴をこぼしていました。

「嫌ならやらなきゃいいのに」

という事を、今までも、今でも、ずーーーっと母親に対して思っています。

 

父のこと

父はほとんど家にいなかったので記憶があまりないのですが
仕事帰りにたまに買ってきてくれるシュークリームが本当に美味しかったです。

薄いシュー生地の中にカスタードクリームがたっぷり入っていて、
上にうっすら粉砂糖が振りかけてある上品なシュークリームでした。

もったいないから少しづつ食べて、味わっていたのを思い出します。

 

人生で一番美味しいシュークリームでした。

 

父は仕事で居ないことが多かったので
たまに休みの時に仕事現場に連れて行ってくれたりして
外で遊んでくれたのをよく覚えています。

「この道はお父さんが作ったんだよ」
「このトンネルを今度作るんだよ」

と、みんなが使う大きなものを作っている父を
私は誇りに思っていましたね。

幼少期

私は幼いころから活発でよく道で色んな人に声をかけて友達になっていました。

勝手に人の家の庭に入っていって
「ねぇ、一緒にあそぼー。」といって友達を増やしていました。

両親も知らない人から、「あ、〇〇ちゃん!」とよく声をかけられていたそうです。

小学生のころ

小学校のころに
みんなと、自分が着ている服がちょっと違うということに気付いたんですよね。

それから自分の着ている服が恥ずかしくてたまらなくなったんですね。

たぶん誰かに服についてからかわれたんだと思います。

洋服コンプレックス

当時、祖母から買ってもらっていたブランド物の派手な服が多かったんですね。
おばあちゃんの趣味なので、紫とか深紅とか(笑)

そのころからか
洋服に対するコンプレックスが異常なほどに育っていました。

 

レースのついたドレスとか、ピンクのワンピースとか、とにかく嫌いでした。

記憶の限りでは私に服を選ばせてくれたことはなかったですね。

服がとにかく目立つから
なるべく存在感を消すように気を使って
とにかく自信のない子供でした。

中学生のころ

中学校では仲のいい子は居たんですが
そのあたりから形成される、クラスの仲良しグループが苦手でした。

 

だいたい一人で色んなグループをうろうろしていましたね。

 

そして型にはめられるのが嫌いなので、

「〇〇ちゃんってこんなんだよねー」

と決めつけられるようなことを言われるのが一番嫌いでした。

 

その一言を言われるとフラッとグループから去っていっていましたね。

突然スーっと1人で行動するし、変な人だと思われていたと思います。

そのころは動物が大好きだったので、将来の夢は獣医になりたいと思っていました。

高校生のころ

高校では獣医になりたい希望はあったんですが
学力が足りなかったので進路を迷っていました。

絵を描くことが大好きだったので
絵を描く人になりたい、だから専門学校に進みたい!と考えていました。

でも、進路相談の時
母親に「そんなしょうもないこといって何考えてんの!?」と
先生と一緒に、ものすごい反対にあったんですね。

やりたいこと=稼げることではないという親の考えを押し付けられた

「私のやりたいことなのにどうして否定するんだろう」と不思議に思ったのと同時に
「やりたくないことするくらいなら死のうかな」と本気で思っていました。

私の人生を邪魔されたと思って、しばらく親と口がきけなくなりましたね。
母はこのあと
「この子、絵がかきたいとかいって専門学校に行くとか言いようとよ!ばかやろ!呆れてものが言えん!」
と、父親に言っていたんですね。
もうこの点についてはお手本のように最悪な母親ですよね。

その後も、
「最初は獣医になれる学力があったのに部活に入って遊びほうけたせいで成績が下がった。
部活なんかしなければよかったのに!」
と延々と私の進路と成績に対する愚痴を聞かされて死にたくなりました。
大好きだった部活のことも馬鹿にされてすごく嫌でしたね。

看護師という進路を選んだ理由

そこで高校3年の時のクラスの女子8割が「看護師になりたい」と言っていたのをきいて

「あ、これだ、看護師ならいいかも、仲良しの●●さんもなりたいって言ってたし」

という理由で私もなりたいと思ったんです。
要するに考えるのが面倒だったんですね。

看護大学に通っていた時のこと

大学に入るにあたって

祖父が母に「女の子が大学なんかに行くもんじゃない!」と言っていたらしいんですね。

もともと、たばこ臭いしおばあちゃんのことを悪く言うから嫌いだったんですけど
この一言を聞いて祖父のことが究極に嫌いになりましたね。

爆発したストレス

大学生になって2年目までは座学ばかりだったので大きく高校の時とは変わりませんでした。
変わったのは制服がなくなって私服での登校になったことです。
私、洋服に対してものすごいコンプレックスがあるんですよね。

なので、
大学生になってアルバイトを始めて
自分でお金が手に入るようになってからは
コンプレックスだった洋服に全財産をつぎ込むことになりました。

買い物依存症になる(大学時代)

バイト代はすべて洋服に消える!
センスがないから勉強しようと雑誌を大量に買う!!
買うけど似合わないからまた買ってみる!!!

とにかくいろんな服を着まくっていました。
雑誌のモノを買えばおしゃれになれると思い込んで。

でも買いすぎて、お金が無くなると服を売って、また服を買っての繰り返し。
自分に似合う服なんてわかっていませんでしたね。
とにかく買うことでストレス発散していました。

さらに、
看護なんてほんとは興味がないから
勉強なんて楽しいはずがありませんよね。
学校も女子大で
女ばかりの環境と人間関係に疲れるし楽しくないしで最悪でした。

そのストレスの発散に
お金を使い込んでとにかく洋服を買いまくる
買い物依存症になったんですね。

あまりにも学校生活が辛かったので4年間も絶対大学に通えない!
卒業できない!と本気で思っていました。
正直大学の記憶がほとんどありません。
実習の死ぬほど辛かった記憶がほとんどです。
辛すぎて覚えています。
地獄でした。

看護師になろうと決めた出来事

大学3年生の時、死にそうになりながら実習をこなしていた時でした。
実習に行くたびに教育係の看護師さんや先生から
「どういう生き方してきたらそんなふうになれるの?」
と、人格否定をされまくってきたんですね。

実習の帰りの電車の中で
「もう無理よね。死ぬしかないのかな?看護師なんてなれないよ」
と、友達と一緒に泣く毎日でした。

そんな時に受け持ちだった患者さんから
「あなたがいたから入院も頑張れた」
と言われたんですね。
その一言で、死にたいほどキツイ日々に、光が差したように感じました。

「何にもできない私にもできることがあるんだ!」と思うことが出来ました。

そこからですね。
私にも看護師としてできることがあるなら頑張ろう!と思い始めたのは。

大学病院に就職

無事に国家試験に合格し、社会人としての生活が始まることになりました。

東京の3年は福岡の5年と聞いていたので
東京の大学病院に就職することに決めました。
これから3年間は修行と思って頑張ろうと心に決めていました。

初めての一人暮らしで、全てのものが自分で選べる幸せを感じていました。
洋服、食事、友人、これからの人生の進路、遊び方、時間の使い方。

今までの人生
自分で選んできたことが少なかったので
ここから私の自分らしい生き方ができるように感じていました。

でも全く初めての一人暮らしはやはり不安で
「東京の人なんてみんな死んでしまえばいいのに」と
毎日本気で思っていました(笑)。

1年目 辞めたいと思わない日がない、とにかく辛い毎日

同期は400人くらいいました。
同じ病棟で働くことになった同期は6人でした。

1年目ころは毎日が勉強で
やることすべてが初めてなので本当に疲れました。

残業も多いし
先生に怒られるし
患者さんに怒られるし
覚えることも多くて
本当につらかったです。

でも同期がいたのでみんなで沢山笑ってたくさん食べて元気に過ごせていました。
でも毎日辞めたいと思っていました。

そしてストレスのせいでまた買い物依存症が再燃。
貰ったお給料がほとんど洋服に消えていって
食事をするお金が残らないようになっていました。

この買い物依存症状態はこの後もずっと続くんです。

2年目 ストレスフル変わらず

1人暮らしにも、仕事にも慣れてきました。
でも一人ですることも多くなる分
インシデントも増えるし自分より下の年代が入ることで
一番下ではなくなる恐怖がありました。

私は仕事ができる方ではなかったので
2年目になってもかなり先輩に怒られていましたね。
でも、すごく仕事ができる同期にいつもこっそり助けてもらっていました。
前もって情報収集しなくていいように
「昨日はどうだったか」を教えてもらったりとか
患者さんのことを教えてもらったり
点滴を助けてもらったりしていました。

それでも毎日辞めたいと思っていましたね。
師長さんとの面談の時に泣きながら
「予後の悪いことがわかっているのに
どうしてそんなに治療するんだろう
私たちを困らせる患者さんは早く死んでしまえばいいのにって思います」
って言っていました。

本当に疲れ切っていて、限界を超えて仕事をしていましたね。

仕事の後に、笑ってしゃべって遊んでくれる同期がいなかったらとっくに辞めていました。

3年目 カメラに出会う

3年目になると、新人のプリセプターを任されるようになりました。
3年経ってやっと独り立ちできるくらい仕事ができるようになっていました。

ちょっと慣れた時に新人のお世話係になったことで
再び自分の肩に重すぎる責任が乗っかりました。

このときストレスが再び許容量を超えるようになりました。

買い物依存症だけでは吐き出しきれなかったストレスが
ほかの方向にも向くようになります。

カメラ学校に通う

あるときふと、アマチュアカメラマンの写真を見て感動して、
「私も撮りたい!」と思って高級一眼レフを購入したんですね。

そしてカメラで、自分が持っている色んなものを撮り始めるんですが、物足りず。
カメラの専門学校の社会人コースに入学しました。

ストレスで病んでいた私をカメラ学校のみんなは優しく迎えてくれました。
「東京に来てこんな優しい人たちがいるんだ」と感動したのを覚えています。

カメラ学校の社会人コースに入って前期日程を終えたんですが
半年間の学校で通えた回数はそれぞれの月に1回ぐらいでした。
授業の中で人物を撮るのがうまいと褒められ、すごく嬉しかったです。

そして舞い上がっていた私は師長に
「カメラマンになるからやめます」といって
本気でやめる決意をしていたんですね。

でも4月が近づいてきたころ、このまま辞めるのはもったいないんじゃないか?
という気持ちが強くなってきたんですね。

当時の月収が手取りで30万円前後
ボーナスは夏と冬合わせて100万円以上は貰っていたんですね。

このころから少しづつ
「仕事」と「遊び」の時間の使い分けができるようになっていました。

ということでカメラマンの道は諦め、看護師を続けることにしたんですね。

4年目 お金のために働く

4年目からはプリセプターではなくなりました。
そして入職時にいた同期はみんな退職したり
異動になったりして誰もいなくなってしまったんですね。

同期がいなくても大分仕事に慣れていたこともあって
重症な患者さんを毎日受け持つようになりました。
自分に余裕ができた分は後輩のフォローをしていました。

でもゆっくりできるわけではなく、4年目もひたすら激務でしたね。

「お金のために働く」という気持ちに切り替わってきたのはこのころからですね。

5年目 遊ぶことに全力を尽くした

5年目になると、イヤイヤながらも割り切って働いていました。
お金は遊ぶことに全力で使うことに決めて、稼いだ分はきれいに使い切っていましたね。
4年目以降は東京を満喫して、いろんなところに遊びに行っていました。

相変わらず服にはお金をつぎ込むし
照明や三脚やデータの記憶装置だったりと
カメラの小道具やらもたくさん買っていましたね。

この年に移動願を出して、5年間いた病棟を離れることになりました。

6年目 VIP病棟へ異動

いわゆるVIP病棟に異動になりました。
個室しかなくて、入り口はカードリーダーで開く、ガラス張りになった病棟です。
一番奥には
防弾ガラスで囲まれた一泊十数万円の
リビング、応接間、キッチン、広い浴室がついたホテルのようにきれいな部屋があるところです。

色んな人に「なんであんたがVIP病棟?そういう対応できなくない?」といわれて
自分自身もなぜここに異動になったのか全くわかりませんでした。

異動の希望としては「今より楽な病棟がいいです」と伝えていたんですね。
VIPだからゆったりしていると思いきや、やっている看護は同じで
専科のドクターがいない分、ドクターは指示を書くとすぐにいなくなってしまいます。
なので、指示漏れがあったり、患者さんの容態が変わった時などは
指示をもらうのがものすごく大変でした。

ここに入院する人は芸能人から政治家から色んな人がいましたね。
日頃の看護においてはそんなにVIP感はありませんでした。

でも色んな政治家や芸能人に会えたことで、ただただ面白い経験ができました。
そして新しい病棟で頑張って働きながらも絶対に来年こそは辞めようと心に決めていました。

7年目 退職を決意

辞めたいと毎年のように辞意は伝えていました。
でも何だかんだ7年も続けていたんですね。
結婚したら収入が2倍になるし
こんなにきつい仕事じゃなくてもいいかなと思っていました。

でも、もし結婚したとしても勤務時間の変更などをされて
辞められないということがわかったんですね。

辞めようと決意したのは体が限界に来ていたからです。
ベテランになるほど難しい病状の患者さんや管理業務をることが多くなります。
今までに経験しなかったクレームの処理などをするようになったり、
バリバリ働けるからこそ、いろんなフォローをするようになりました。
夜勤が月に7回入ったりしてクタクタになっていましたね。

「あーこのままここで働いてたら、自分の体が休めずに死ぬな。」
もう限界だと思うようになりました。

そこで7年目の最初の面談の時に師長に伝えました。
「来年ぐらいに結婚しようと思っているんですが
もしかしたら相手の転勤で東京を離れることになるかもしれません。」

そして当時結婚するだろうと思っていた彼氏に
「今年中に別れるか結婚するか今決めて」と迫り、結婚することになりました。
ついでに福岡に転勤希望を出してもらいその転勤も決定したんですね。

思い入れのある患者さん

大学病院で働いていた間、ものすごく優しくしていただいた患者さんがいます。
その人たちがいたからこそ、今でも看護師を続けられているんですね。

私の至らない看護を
「あんた、ナースコールで頼んだこともすぐ忘れるもんね」
と、笑って優しく見守ってくれる人もいました。

そんなに優しくしてくれた人がいるのに、自分の器の小ささと
仕事のできなさに何度も泣きました。

そういった患者さんに出来なかったことをこれからはできるようになりたい。
後悔の気持ちもあって、今でもその気持ちを忘れずに真摯に向き合って看護しています。

化学療法をしていたKさん

新人の時から優しくしてくれました。
「東京のお父さんお母さんと思ってね」
といって料理の本をくれたり電話番号を教えてもらっていました。
夜勤中に少し部屋に隠れさせてもらったり、TVを一緒に見たりしていましたね。

Kさんは何度も入退院を繰り返しているんですね。
一度、意識がなく運ばれてきたときに
担当の先生が
「Kさん、〇〇さん(私の名前)がいるよ、聞こえますか?って声をかけたら反応があったんだよ。」
と教えてくれました。

嬉しかったと同時に
自分がその期待に応えられるような人格者ではなかったことが恥ずかしくて、悲しくもなりました。

その後Kさんは亡くなったんですね。
亡くなった時にショックすぎて奥さんにも声が掛けられませんでした。
その後も奥さんから何度か着信があったんです。
でも自分がその期待に応えられる人格者じゃないことを自覚していたからこそ
電話を取ることが出来なかったんです。
それは十年以上経った今でもすごく後悔しています。

どこかの会社の社長さん

癌の末期の患者さんでした。
ほんの数カ月しか一緒に居られませんでした。
麻薬の痛み止めを使っていたんですが
麻薬の痛み止めよりも私のマッサージがすごく効いたことをきっかけに
私のことをすごく気に入ってくれて、かわいがってくれていました。

「〇〇ちゃんのマッサージのおかげで社長としての最後の会議を立派にやり遂げられたよ、ありがとう」
と言ってくれたんですね。

次の日にほかの人を担当していた私は、忙しくて余裕がありませんでした。
その時にマッサージを頼まれたのに
「すいません、今は出来ないんです」と、断ったんですね。

自分の業務量に限界があったので
医師にお願いして、緩和治療のマッサージを処方してもらったりしました。
でも「やっぱり〇〇ちゃんのマッサージが一番効いたんだよね。」
と残念そうに言っていたんですね。
その時の表情が今でも忘れられません。

ずっと必要としてくれていたのにその手を振りほどいたような気持でした。

数週間後に亡くなられたんですが、そのときにすごく失礼なことをしてしまったと今でも後悔しています。
二度とそんなことをしないように、と、心にとめている出来事です。

面白かった出来事

VIP病棟ならではの出来事も沢山ありました。

政治家や芸能人

VIP病棟には健診やちょっとした病気で来られる芸能人や政治家の人が多かったです。

名前を出すことはできませんが、
顔が知られていないけど、知らない人がいない有名人も来られていました。

芸能人もいました。
やっぱりオーラが違います。
立っている姿も普通の人と違いすぎて
緊張せずに看護ができるまで3日かかりました(笑)。

ご家族に私の大好きな俳優さんがいらっしゃったので
面会に来られるたびに緊張ですごく汗をかいていました(笑)。

奥さんは夜勤の看護師に毎日差し入れのお菓子を持ってきてくれていましたね。

あと、一泊10万を超える部屋に泊まる人は当たり前ですが、お金持ちです。
大体、SPさんを連れてくるような人がその高級部屋に入院されるんですが、
SPってホントにいるんだ。
みんな大きいな~と思って眺めていました。

大学病院をどうしてもやめたかった理由

大学病院で働いていた時に許せなかった出来事があります。

一つは師長が大嫌いだったこと。
もう一つは激務すぎたことですね。

最悪な上司、師長

師長に言われたことで今でも覚えているのは

「は?〇〇(私の名前)のクセに何言ってんの?」
まだ1年目のころ、朝の申し送りの時少し的外れなことを言ったときに言われたことです。
私という人間の全否定ですよね。管理職とは思えないひどすぎるセリフです。

「仕事できない人が残業つけないでよ」
新人の最初のころ、先輩に「残業書いていいよ」といわれて書いたんですが
次の日にそれを見つけた師長から言われました。
こんなこというのは違法なんですけどね。
でも病棟みんなが師長に対する恐怖で支配されていたので誰も何も言えませんでした。

私が5年目になるころには私もさすがに、師長に怒られる事に慣れてきたんです。
後輩が残業をつけていることで注意される前に、師長に聞こえる所で
「昨日すごく遅くまで頑張ってたね!大丈夫?今日起きられた!?ホントにお疲れさま!!!」
とめちゃくちゃねぎらっていました。

前日に、
「私が悪者になって絶対フォローするから残業書いて!絶対書いて!!!
残業書かなきゃ忙しさが上に伝わんないから!!」
と半強制的に書いていたからなんですけどね。
師長に対する小さな復讐でした。

「残業一日2時間以上つけないでよね、これ書き直して!」
2年目ぐらいになってかなり長い残業をしたので
「さすがに今日は…」
と思って実際より少なめに書いたにもかかわらず、次の日に言われましたね。
これも違法です。
実際はそれ以上残業しているけどあまりにも長いから3時間って書いたのに。
さらに削るって…。
「え?」と思いながらも渋々従いましたが全く納得できません。

「辞めたい辞めたいとか言ってるけどさ、
 大きな病院の組織の一員として、辞める前にやらなきゃいけないことがあるの。わかんないの?」
きつくてきつくて、辞めたくてたまらなくて
このままだと死んでしまうと思いながら働いていました。
面談の時に「きつくて辞めたいです」と言ったら
「きついのはみんな一緒なんだけど。」といわれ
何も言えず黙っていたらそういわれたんですね。

「え?辞めるのって組織の都合に合わせなきゃいけないの?やらなきゃいけないことっていったい何?」
と唖然としたのを覚えています。

「私たちスタッフは師長にとってはただの駒で、人間として意思のある存在として扱われていないんだな」
と確信したセリフでした。

・「あの患者さんが急変した時、何にもできてなかったじゃん。振り返りしたの?」
 「は?●●と振り返りしても何の意味もないんだけど、何考えてんの?ちゃんとして。」
この時は2年目で重症の患者さんをまだ任されていない時でした。
受け持ち患者さんが急変してその対応を師長と私がしたんですが
その後師長がいなかったので、急変時にどうすればよかったのかを
その日勤務していた一つ上の先輩に相談していたんですね。

次の日に師長に聞かれたので●●先輩に相談しましたと伝えたら、このセリフを吐き捨てて
激怒してどこかへ行ってしまいました。
結局どうすればよかったのかわからないままでしたね。

私は新人の時からこの師長さんしか知りませんでいた。
最悪な上司の下で5年も働いていました。
師長は病棟の文句や問題点を言うだけで、業務改善などに取り組んでくれたことはありませんでした。
しかもこの師長が病棟を管理していた時期に妊娠した先輩も後輩も、流産したんですよね。

なので、私はこの病院で働いている間は絶対に結婚も妊娠もしない!と心に決めていました。
そして、
病院が私を利用するなら
私も最大限この病院の福利厚生を搾り取ってから辞める!
と決めていました。

激務すぎる

師長がこんな考えだったので、何かが起こっても、「仕事のできないあなたが悪い」
で思考が止まっていて、考えが発展しません。

「病棟のシステムや働き方が悪い」という考えに及ばないんですね。

なのでうちの病棟はインシデントの数が全ての部門においてトップを独走していましたね。
忙しいのに人員は補充されず、さらに毎年4人以上の退職者が出ます。

激務の一日

私が働いていた時の一日の流れはこうでした。
朝5時に起きて6時の電車に乗ります
7時に駅について病院につくのは7時半前
そこから情報収集をして8時に仕事が始まります。
終業時間が17時です。
でもそこから血糖測定、輸血や化学療法が始まることも多いので、
病棟が一番忙しくなるのが17時から20時なんですね。

なので普通に18時までは座れません。
18時過ぎにやっと座って一日の記録が始まります。
記録が1時間で終わったとしても
次の日の検査準備や伝票の確認、退院準備などで1時間は軽くかかります。
毎日3時間の残業は普通です。

先生もその流れで働いているので
次の日の点滴指示が自分が帰るころまでに出ていないことなんてよくあることでした。

帰るのが21時過ぎるのなんて普通でした。睡眠時間4時間あればいい方でした。

さらに、この師長、変な仕事を引き受けてくるんですね。
患者さんのニーズがあるので、リハビリの患者さんのための病床を確保したいけど
どの病棟も余裕がないということで断っていたんですね。

でも、うちの師長は、そのリハビリの病床を
忙しくて人が一番多く亡くなる病棟に引き込んできたんです。

結果、ただでさえ忙しい病棟なのに
リハビリ目的のものすごく介護度の高い患者さんがいるので
さらにインシデントが増えるという事態が起こりました。

上司に恵まれないと本当に悲惨な状況になっていきます。

福岡に帰ってしばらくして老健に就職

福岡に帰ってきてからしばらくは毎日寝たきり状態でした。
引越しの直前までバリバリ働いて夜勤も7回していた状況だったので
心身ともに疲れ切っていて、1か月ほど糸が切れたように何もできませんでしたね。

大学病院で看護師として死ぬ気で働いてきたので、どこでもやっていける自信はありました。
でも、昔から人の話を聴くのが大好きなので
おじいちゃんやおばあちゃんの話を聴きながら看護ができる老健施設は
私にとって夢のような最高の職場だと思っていたんですね。

なので、次に働くなら絶対に老健施設だと決めていました

そしてちょうど、福岡に引っ越してきてから見える距離に老健施設があったんですね。
転職サイトを通じてその老健で働くことになりました。

将来自分も老健施設を建てたいと思うほど老健施設への夢があったので
どんな職場かわくわくして働き始めました。

でも実際はとんでもなく汚くて幻滅したんですね。
汚すぎて利用者さんがかわいそうになって、自分の体調が悪くなってしまいました。

老健施設の現実

働いて初めに思ったのが
「汚すぎて無理!!!!!」でした。

トイレのバインダー

まずトイレの洗面所にバインダーが置いてあるんです。
そのバインダーには利用者さんの名前が書いてあって
排便のチェックが正の字がされているんですね。

そのバインダーも、紙もしわしわなんです。
介護士さんが排せつ介助したままの手袋でボールペンを持って、その紙に書いてるんですね。

そのしわしわの原因の水分って何!?どこからきたの!?
と、恐ろしくて触れませんでした。

トイレの中のごみ箱もオムツであふれているし
トイレの床も排泄物で濡れているし臭いもひどくてびっくりしました。

洗われないお風呂の足ふきマット

老健では毎日交代で入所者さんが数日おきに入浴をします。

その時に床が滑るので
入浴後は足元に足ふきマットが敷いてあるところで体を拭いたり着替えをします。

このマット、その日の入浴介助が終わると
手すりにポンッと掛けられるだけで、洗われないんです。

その事実に気づいてから、いつ洗うのかな~とずっと観察していたんですが
一度も洗われたところを見たことがありませんでした。
介護士さんにいつ洗うのか聞いたんですが、だれも洗う日を知りませんでしたね。

そのほかにも、陰で利用者さんをいじめている職員がいたりすることも知りました。
(これはその利用者さん本人のジェスチャーと、私と筆談をしていた過程でわかったことなんですが。)

先輩看護師がダメすぎる

看護師の質も悪く、先輩がやっている明らかに間違っているケアのやり方を目にすること
それによって患者さんが被害を受けていることを見ているのが苦痛でした。
例えば
・入浴後の軟膏処置で、手袋と軟膏を使いまわしている
・下剤を医師に相談せず勝手に切り替えている
・点眼の時の手袋を使いまわしている

他にも介護士さんの仕事が雑で
利用者さんをベッドに寝かせる時に靴のまま寝かせて
寝かせた後に靴を脱がせていたんですね。

汚すぎて、注意すべきところがたくさんありすぎて自分でできることから指摘していたんですが
業務改善について考えすぎて胃腸炎になってしまい、入院するほど体を壊してしまいました。

結局数カ月しか働けませんでしたね。

同僚に紹介された中規模病院で働くことになる

老健で働いていた頃、一緒に働いていた同僚が先に辞めたんですね。
その人が働いた先の職場を紹介してもらったんです。
「ものすごく働きやすいよ、おいで!」
と声をかけてくれたので転職することにしました。

実際にとても働きやすく、給料も業務内容で考えるとものすごくよかったんですね。
楽して給料がいい!天国かと思いました。

老健と病院の違いを改めて感じる

老健と違って清潔操作はしっかりできているし
エビデンスに基づく看護が徹底していました。

当たり前のことが当たり前にできる環境が
これほど働きやすいのか!ということを心から嬉しく感じていました。
老健では当たり前のことを言っても
「ホントはそうすべきなんだけどね~」
と軽く流されて、まったく改善しようとしてくれなかったんですね。

働いている時にこの病院に対してのストレスは全くと言っていいほどありませんでした。

人間関係が最高に良かった

わたしがこの病院で働くことができて良かったと思うのは
今までで一番尊敬できる先輩や師長に出会えたことです。

主任さんたちみんな仕事ができて頭もとんでもなくいいんです。
スタッフみんなのことを気にかけていて
医師からも信頼がある。
師長さんはさらに格別に仕事ができるんですね。
スタッフみんなも主任さんや師長さんのことを悪く言う人は一人もいませんでした。
ただ、仕事をしすぎていたので体調についてはみんなで心配していたくらいです。

スタッフはお子さんを持つママが半分
結婚していて、これから子供を産もうと考えている人が半分いました。
子育て中の先輩が沢山いたので子育てのことなど、いろんな話を聴くことが出来ましたね。

仕事にストレスがない

入院病棟で介護士さんも看護師と同じくらい人数がいたんですね。
排せつ介助や清掃、体拭きなどは一緒にやってくれることも多く
肉体的な疲労はあまり感じませんでしたね。

残業は一日に10分もないくらいでしたし
仕事前の情報収集が必要なかったんですね。

大学病院で働いていた時には考えられない環境でした。

あまりに働きやすいので
この病院で産休育休を取得して2人の子供を出産しました。
妊娠中も夜勤を免除してもらったり
手が空いている時には「休憩してきな」と声をかけてもらったり
ケアしようとしてると「代わるよ!」と声をかけてもらったり。

本当に優しくて仕事のできる人が沢山いましたね。

状況が変わった出来事

2人目の職場復帰の時、病棟ではなく外来勤務にされたんですね。
2人子供を抱えていると、夜勤ができなくなることや
時短勤務になると、病棟の場合は誰かがその業務を引き受けなければいけません。

外来勤務だと1人抜けても、病棟ほど大きな負担を個人に引き渡すわけではなくなります。

最初は緊張して外来業務をしていましたが
そんなに戸惑うことなく業務ができるようになりました。

外来の独身40代の意地悪お局様、自称「S姫」

あるとき、患者さんの点滴が終わっていたので抜針したんですが
その点滴の後にもう一つ点滴があったんですね。
私がそれに気づかず抜針したので患者さんに謝罪してもう一度ルートを取り、点滴をスタートしました。

その時に看護師Sさんに何か言われたんですが、全く聞き取れなかったので
「?」
と思いながらじっとSさんの顔を見ていたんですね。

それがSさんのスイッチを押してしまったようで、その時以降、Sさんが豹変したんです。
その時に「インシデントですよ」みたいなことを言っていたようなんですが
私がそのことに対して反発したように感じたのでしょうか…。

その日以降、完全に目をつけられて、とことんいじめられたんですね。

・少し席を外しただけで「またなんか無駄なことしてるんだけど!」と聞こえる所で言う
・診察介助の時に一つでも不要な物を準備したら恐ろしい顔で
「これ、要らないですよね、先生に言われました?
言われてないのに準備するのムダでしょ?
片づけるもの無駄なんですけど!二度手間でしょ!?」
と言われる。
・診察介助についていて、物品を準備しようとその場を離れたとたん「もうそこに置てますけど!」と
死角に物品を準備される
・小さい子の包交介助をしたとき、通り過ぎながら
「おっと!おばちゃん子供居ないからびっくりした~」
と意味の分からないプレッシャーをかけてくる
・管理者が居るときには「あ、そのチェックしてくれたんですか、ありがとうございます」
とか無駄に声をかけられる
・隙間時間に別の仕事をしていたら、「ちょっと!これしてください!!あなたの仕事でしょ!?」
とすっごく監視されている。
・先生に指示受けしている途中で「それしなくていいから、これとこれおねがい」と仕事をぶった切る
・何にもしていないときはわざと聞こえるようにとにかく私の愚痴を言う
「もうストレス~~~」「嫌なんだけど~~~」と、具体的な理由はない。

家では子供2人を世話するのにいっぱいいっぱいで、職場では少しの隙間時間の使い方まで監視され。
追い立てられるように仕事をして。
帰って急いでお迎え行って。
通勤時間中でさえ、仕事のことを覚える時間に使っていました。
おかげで精神的に限界になって二度とその病院にいけないくらいのトラウマを植え付けられましたね。

同時期に職場から遠いところに引越ししていたので、
引越し先で自転車で1分のところにあるクリニックに転職サイトを通じて転職することが出来ました。
転職が決まった瞬間からこの病院にはもう行きませんでした。
みんな私がいじめられてるの知ってても、「今度あなたがターゲットになっちゃったね。でもあのひとそういう人だからね~」といって助けてくれる人は居ません。
そんなとこにいじめられるために行く必要ないですもん。

クリニック楽で最高!

転職先にこのクリニックを選んだのは
・残業が少ない
・家から近い
・保育園の送迎時間に間に合う
・手術などを行っていない、薬の塗布・注射だけの仕事
・同年代の看護師しかいない全員子持ちのママ
・優しい人しかいない職場
・特殊な知識がなくてもできる仕事
という条件だったからです。

2人の子供を抱えて
保育園に通わせながら仕事をし
家事もするというのはかなり大変です。

今は子育てに力を入れる時期なので
なるべく仕事に重きを置かなくていい職場をさがしました。
仕事が大変だと自分と家庭が崩壊してしまう恐れがあったんですね。

働き始めると本当に楽でした。
子育てへの理解があるということがこんなに心穏やかに過ごせるということが本当にうれしかったです。

自分の子供の話をしても嫌がられないという幸せ

前の職場では、子供がいて結婚しているだけでも気に食わないような対応をされてきました。
子供の話題を出せば「私分かりませんもんね」と言われ、私が悪者になるという状況でした。

クリニックに来てからは
「うちの子がね、今日ご飯の時に…。」
「昨日家に帰ったらうちの子が…」
と、みんなで子供の話を楽しくできるし
子供だけでなく、家族や親のことや、何でもない話もたくさんできるようになったんですね。

仕事は最初の1週間は覚えることが多くて仕事中に勉強していましたが
それ以降はもともと持っていた知識で十分に働けるようになりました。

パートではなく常勤を選んだ理由

前の中規模病院では救急搬送の受け入れや、内視鏡検査、手術などをしていたので
とても給料が良かったんですね。

2人目復帰後も、働いていた中規模病院をやめるつもりはなかったので
月に20万円以上は稼ぐつもりでいました。

でも辞めてしまったんですね(笑)

マイホーム買ってたんです

産後、私自身の体質の変化があったのか、体調を崩すことがかなり多くなったんですね。
そして子供2人を育てるにあたって、公園に遊びに行くことが負担に感じていたり
子供の立てる音や、自分が出す声の大きさを気にしてしまうマンション暮らしに限界を感じていたので
マイホームを購入していたんですね。

しかも夫の収入が家族みんなを養えるほどではないため
私はパートでペースを落として働く、という選択肢はありませんでした。
仕事の内容と拘束時間はできるだけ落として
給料はできるだけ落とさない方法を考えた結果、常勤で働くことに迷いはありませんでしたね。

 

クリニックで働き始めると、仕事が楽すぎて今までの激務が幻のように感じます。
お給料は当然10万円以上下がりました。
でも、精神的余裕と、時間の余裕と、お金の余裕は今のほうが断然あるんですね。不思議です。

買い物依存症のその後

買い物依存は2人目出産後に自然と落ち着きました。

かなり長い間、依存があったと思います。
落ち着いたきっかけは
2人目産後復帰した外来で精神を病んだからだと思います。
自分にとことん向き合ったことが良かったんでしょうね。

あと、クリニックに転職したことで
自分のことも、子供のことも、腰を据えて考える時間ができたんです。

精神を病んだ時に
「私は何のために働いているんだろう」
と、何度も自問自答したんですね。

その事もきっかけになって
自分の周りにあるものがやっと見えるようになったような気がします。

仕事ばかり頑張ってきたんですが
今では、
ミニマムに生きることで、子供と一緒に過ごす時間にフォーカスを合わせることが楽しくなっています。

看護師を続けてよかったこと

学んだこと

学んだことは沢山あります。
一つ挙げるなら
患者さんが命を懸けて教えてくれたことを挙げたいと思います。
「死」の場面には数え切れないほど立ち会ってきました。

目の前で吐血しながら亡くなった人
苦しみながら亡くなった人
様々な理由で亡くなった人達からは
死に方は看護次第で変わるということを学びました。

看護師が「こういう看護を提供すればこの人は良くなる」
そのような、予想どうりに事が運ぶということはほとんどないですね。
その人の望みに寄り添って最後まで聞き続けることが大事だと思います。

自分自身が成長できる

私自身、自分のことさえわからなくて
「対人恐怖症」だと思っていました。
そしてその対人恐怖症を直したいという気持ちもあって、

「究極の接客業」

である、看護師を選んだというのもあるんですね。

仕事で学ぶことが多かった分、自分の体力や精神力を削って働いていました。
今思えば、得るものしかなかったと思います。
すごく大変でした。
でも、若くなければできないことを、精一杯学んでこられたと思います。

看護師は求人が絶えない

患者さんから
「看護師さんはいいね、病気になったとしても再就職できるし
食いっぱぐれないよね。おれはもう働けなくなっちゃったよ」
と何人にも言われてきました。
実際、引越しをした先でもすぐに就職先は見つかります。
業務内容は基本さえしっかりしていれば、さほど大きく変わりません。

そのほかにも、
仕事しながら趣味を極められる
色んな人の一生に寄り添うことで自分のやりたい生き方が見える
死にゆく人にいろんなことを教えてもらえる
人間いつか死ぬということを改めて認識できる
感情的な人を見ても仕事スイッチを入れれば動揺しなくなる
好きなことをするのが一番幸せ
病気の前では人間みな平等

ということを身に染みて感じることができます。

まとめ

看護師という職業を通じて、私は自分のことを見つめなおすことが出来たし
普通の職業では体験できない多くの死を通じて
他人の人生の節目に深く関わって学ぶことが出来ました。

本当に大変な職業ではあります。でも、この仕事は本当に楽しいんですね。

ぜひこれから看護師を目指す人も、そうでない人も
こんな人間でも看護師やってるんだなー
自分もできそう!
なんて考えてもらえたら幸いです。

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