看護師の仕事が嫌で死にたかった私が、看護師で良かったと心から思えるようになるまで。

自己紹介

はじめまして!
生まれも育ちも東京、29歳の看護師『ゆかるるん』です!

母親と弟と私の3人家族で
今は実家で母親と共に暮らしてます!

趣味は旅行、カメラ、読書、カフェでぼーっとすること、絵を描くこと、ヨガ等々…!
趣味がないことが悩みで色々やってみたら
ここ一年位で一気に多趣味になれました!笑
特にカフェに入り浸ることが大好きで
休みの日は基本カフェにいます。
なんか、心が落ち着くんですよね。笑

あと大人数でワイワイするタイプじゃなくて
基本一対一が好きですね。
大人数だと存在消します。笑
それか一人!
映画も旅行も、割となんでも一人が好きなタイプです。

ということで、私の半生を振り返ってみます!

看護師を目指すきっかけになった小学生時代

小学生の頃は、おしゃれが大好きでしたね!
友達と100均で付け爪を買って付けてみたり
洋服を買いに行ってコーディネートしたり。
確実に今より女子力は高かったです!笑

あとは、絵を描くのが大好きでした!
学校でも家でも
時間を忘れて漫画ばっかり描いてました!
クラスメイトを登場人物にした漫画を描いて
友達に読んでもらってましたね。
自分の描いた漫画がクラスで回し読みされるのって
とても快感ですよ!笑
なので、このころの将来の夢は漫画家でした!

印象に残ってるのは
小学2年生の時に喘息で
家の近くの病院に入院した時のことです!
その入院生活が、4日間だけだったんですけど
もうすっごく楽しくて!笑

まず隣のベッドが同い年位の男の子で
二人でベッドの上でぴょんぴょん跳ねて遊んでましたね。笑
母親がいつもだったら絶対に買ってくれない
付録付きの雑誌を買ってきてくれたり
学校の先生がお見舞いに来てくれたりしました。
看護師さんも、すごく優しかったです!
消灯後の、暗くなった病室の
あのなんとも言えないわくわく感は
今思い出しても溜まりません。笑
寂しいとかみじんも思いませんでしたね。笑

短い入院生活を終えて家に帰ってきたのですが
入院生活が楽しすぎて、家で

「やだよ゛~‼病院に戻りたい゛よ゛~っ‼」

って死ぬほど泣きじゃくった
のを
今でも覚えてます。笑
変わった子どもですよね。笑

母親が
「虐待してるんじゃないかって疑われるからやめてよ~。」
と本気で困ってました。笑
それくらいめちゃくちゃ泣いてたんです!笑

この時に明確に

「将来看護師になるぞ!」

と思った記憶はないんです。
ただ今も鮮明に覚えてるくらい
小学生時代の入院経験は私にとって
とても印象的な出来事だったんです!
なので、今思えば
この経験が私の将来の選択肢に
「看護師」が挙がるようになった、きっかけなのかなと思います!
というか他に思い当たらないんですよね
なんで看護師を目指したのか。
親族にも看護師はおろか医療職者すらいないのに
気づいた時にはもう、看護師になりたかったんですよ。笑
でも、本当にやりたいことって
明確な理由がないことの方が多くないですか?

あとは、ちょうどその時
テレビドラマで「ナースのお仕事」が流行ってたので
それの影響もあったのかもしれないですね~。

親友に救われた中学生時代

中学生時代は、正直言って私の人生一番の暗黒時代でしたね!笑
なぜか急にコミュ症が発動して
クラスの子たちとろくにコミュニケーションが取れなかったんです!
学校に行くのが辛くて
ずる休みしたのを覚えてます。笑
ただ、暗黒時代だったけど
同時にとっても大切な親友が出来たのも
中学生時代でした!

私は当時、学校が辛かった反動からかなんなのか
ある芸能人にめちゃくちゃハマってました!
その子と話すようになったのは
私が好きな芸能人が出てるテレビ番組を
その子も好きだったことがきっかけでしたね!
話すようになってからは
そのテレビ番組のイベントや番組観覧に
毎月のように一緒に行ってましたよ。
その子と仲良くなってから
学校に行くのもそんなに苦痛じゃなくなったんです!

コミュ症で悩んでた時期に
人生でとても大切な親友が出来たって、なんだか不思議ですよね。笑
辛かった私に
「親友」「生きる理由」を与えてくれた
その芸能人には、今もとても感謝してます!笑

中学生の頃には
もう漫画家になりたいとは思ってませんでした
中学には自分より絵がうまい子たちが沢山いて
挫折したんです!笑
で、多分このころにはなんとなく
看護師になりたいって思い始めてた気がします!
でも、あんまり覚えてないんですよ。笑

あとはこの頃から
自由学習で「地球温暖化」とか「ストリートチルドレン」とかに興味を持って
調べるようになってました。
「国際協力」とかそっちの方にも
興味を持ち始めてたと思います。

看護師を目指すかそれとも…将来の分かれ道となった高校生時代

英語が得意だったので
高校は特別推薦で入りました!
部活はダンス部!
運動がめちゃくちゃ苦手で、リズム感も皆無!笑
なのに新入生歓迎会のダンス部のパフォーマンスに
まんまと魅了されて
自分も出来ると勘違いしたんですね。笑
苦労しました。笑

ファミレスでバイトデビューもしました!
平日は学校のあとは部活、土日は一日中バイトで
ほとんど家にいませんでした!
部活のあとも毎日のように友達と遊んでましたね!
元気だったなぁ。笑
何をそんなに喋ることがあったんですかね。笑

中学から一転
高校時代はすごく楽しくて、無敵でした!笑
特技は「誰とでも仲良くなれること」って
本気で言ってましたよ。
あぁ恥ずかしい。笑
コミュ症だった中学時代の私は
どこにいったんでしょうね。笑
バイト先でも、年上で初対面の人に
「彼女いるんですか~?」なんて
今考えるとすごい失礼な質問を
その時は失礼だなんて一ミリも思わずに、聞いてました。笑
若さってすごい!笑

この頃の将来の夢は
なんと「美容師」!!
高校生になって初めて
自分で選んで、美容室に行くようになりました!
そこで、今も髪を切ってもらってる美容師さんに出会ったんです!
髪を切ってもらって、可愛くなった自分を鏡で見ると
毎回すごく嬉しくて、幸せで!!

「人をこんなに幸せに出来る仕事って素敵だな~」

と思うようになりました。

「私もそんな風に人を幸せにする仕事をしたい!」

と思うようになって
そこから私の将来の夢は、一度
看護師から美容師になったんです!笑
多分高校1年生の終わり位だったと思います。

高校2年生の前半の進路相談でも
揺らぐことなく

「美容師になります!」

と先生に伝えてました!
同じく美容師を目指してた友達と
美容師の専門学校のオープンキャンパスに、行ったりしてましたね!

それがなぜか
高校2年生の確か最後の先生との進路相談の時にふと

「やっぱり看護師の道も捨てられないかも…?」

と迷ってきたんです!笑
それまでは美容師になる気満々だったのに!笑
自分でも戸惑いましたね。
「あれ、私の中に、まだ看護師になりたい気持ちが残ってたんだ!」
って。笑

で、そのまま先生に相談したら

「う~ん。美容師は最初はビラ配りとかしなきゃいけないし。」
「だからあなたには向いてない気がします!」

ってはっきりと言われたんです!笑
私が美容師を目指すって宣言してた時は
そんなこと一言も言ってなかったのに!笑
今思えば
私ってそんなに忍耐力なさそうだったのかなって感じですが。笑
その助言もあり
自分でもなんだか看護師の方がしっくりくるな!ってことで
そこからもう一度看護師を目指すことに決めました!
将来の夢が美容師さんから看護師さんに戻りました!笑
高校2年生の終わりの話です!

看護師になると決めたはいいけど
優柔不断で
ぎりぎりにならないとやらない性格だったので
大学選びには、苦労しました!
それまで美容師の専門学校ばっかり見学に行ってたから
時間がなかったっていうのもあります。笑
同じく看護師を目指してた友達と
今度は看護大学の沢山に行きました!

でも、なかなかピンと来る学校が見つからなくて。
ある日色んな看護学校が一か所に集まって
ブースに分かれて説明してくれるイベントに参加したんです。
そのイベントで、国際協力に力を入れてる看護大学の話を聞いて
興味を持って、学校に1人で見学に行ったんです!
その学校が私的にめちゃくちゃヒットで!

「もうここにしか行きたくない!!」

って思って
やっと志望大学が決まりました!
なんともう高校3年の9月ですよ!笑
夏を制する者が受験を制すると言われている夏を
完全に逃しました。笑
それまではろくに勉強してなかったですからね。

志望大学が決まってから
部活もバイトも辞めて
予備校に通い始めました!
11月に推薦入試があったので
まずはその推薦入試に向けて
小論文と面接の特訓をしましたね!
小論文は大っ嫌いでした!笑
で、推薦入試本番!
小論文はテーマ覚えてないけど
全然書けませんでしたね。笑
極めつけは面接!笑
面接官の先生から

「どんな看護師になりたいですか?」

って聞かれて

「笑顔の素敵な看護師になりたいです!」

って笑顔で言ったら

「あのね、笑顔はだれでも出来るんですよ。」

って言われて、撃沈!!笑

その他の質問もろくに答えられずに
推薦入試は落ちました。笑

ただ落ち込んでる暇もなく
そこから一般試験に向けて猛勉強!!
1日11時間位、勉強してましたね!笑
で、一般試験で無事に
第一志望の大学に合格しました~!!
ぎりぎりだった受験
本当によく頑張ったと思います!笑

看護師を目指したことを後悔した大学生時代

看護大生活は
サークル活動がメインでしたね!
カンボジアに行って
孤児院で子どもたちに健康教育をするサークルに入って
活動してました!
カンボジアに行くのは年一回夏休みの2週間位!
だけど、行くまでに健康教育の計画立てて
台本作って物品作って
帰ってきてからも
評価して報告会してって
1年中忙しいサークルでした!

大学2年生で初めて
実際にカンボジアに行くことが出来て。
まず暑いし湿気すごいし
トイレは汚いし、ホテルの廊下は虫だらけだし
食べ物でお腹下すし…。
道が舗装されてないから道路がガタガタで
車の中で人がバウンドしてたり。笑
そんな環境だったけど
カンボジアで過ごした時間は
楽しくてたまらなかったです!

空港に降り立った時に感じる
あの香辛料の香りを含んだ、むーんとした独特な空気とか
地平線に向かってずーっと続いてる田舎道とか
だだっ広い空とか。
孤児院の子ども達と過ごす時間とか。
今思い出しても、全部が恋しい。
多分この時に

「国際協力の道に進みたいな」

って思いが
自分の中で、大きく膨れ上がっていったんだと思います。

サークル以外だと
やっぱり実習が忙しかったですね!笑
看護計画を上手に発表出来なくて
実習先のナースステーションで大号泣したり。笑
あとはとにかく記録が多くて
実習中は記録に追われてました!涙
家で

「もうやりたくないよお゛~っ‼」

って一人で泣きながら
夜中まで記録書いてました。笑

大学4年生になって
就職先を決めるときは本当に迷いました!
迷ったというか、この時期になっても
看護師として働く自分が想像できなかったんです!笑
だからなかなか就職活動を始める気が起きなくて
高校の時に引き続き
ギリギリまで動け出せなかったですね~。

「なんで看護大学なんて、看護師になるしか道がない大学を選んじゃったんだろう…。」

って、この時期は
看護師を目指したことを
本気で後悔してましたね。笑

結局

「でも看護師として働くなら、絶対に興味のある産婦人科がいい!」

と思いなおして
産婦人科の単科病院就職を決めました!

地獄だった産婦人科病棟時代

そんなこんなで、産婦人科病棟で働き始めました!
けど、はっきり言って
いい思い出は一つもありません!笑
地獄でした!笑
なにが嫌だったんですかね、うーん
全部が嫌でした!笑

まずは、プリセプターさんと全然合わなくて!笑
そのプリセプターさん自身も
私が入職してくる少し前に、中途で入ってきた人だったんですよ。
今考えたら
そんな人プリセプターにしないで欲しいと思うんですけど
人が足りなかったんですかね。苦笑
で、そのプリセプターさんが
「私はこの病院のやり方には染まりません!」
タイプの人だったんです。
だから病院で
その人だけ独特のやり方とか考え方を持っていて
私にもその独特のやり方で教えてくれるんですよ。笑
そんな感じだったので
病院のみんなから煙たがられているような人でした。
私もどうしていいかわからなかったんです。苦笑

あとは、とにかく申し送りが苦手で!笑
ただでさえ人前で話すのが苦手なのに
先輩看護師に囲まれた中で
何人もの患者さんの情報をまとめて伝えなきゃいけない申し送りは
私にとって、とーっても苦痛でした…!苦笑
他の同期はみんな苦労なく出来てるのに

「どうして私だけ出来ないんだろう…。」

って落ち込みましたね。
申し送り前に練習したり
申し送り用に患者さんの情報をまとめなおしたり…
色々工夫したけど
最後まで上達しなかった気がします。笑
申し送りで先輩に突っ込まれて
答えられなくて、病棟で号泣したりしてましたね。笑

入職して半年経った頃から
夜勤が始まりました!
夜勤がまぁ身体に合わなくて!苦笑
夜に働くことで
身体への負担が大きかったのはもちろん
精神的にも追い詰められましたね。
私の働いてた病棟は
夜勤は2人体制だったんですよ。
なので、一人が仮眠を取ってる間
一人っきりで病棟の患者さん全員をみなきゃいけなくて。
その責任の重さにやられました。苦笑

妊婦さんが入院してる病棟だったので

「今自分が危険サインを見逃したら、お母さんもお腹の中の赤ちゃんも2人とも死んじゃう!」

というプレッシャーと
いつも戦ってました!涙
あとは入院患者さんだけじゃなくて
夜間に救急の患者さんが飛び込んでくることも
沢山ありましたからね。
2交代制だったので
夜勤前は

「あ~これから明日の朝まで働くんだ…死にたい。」

って毎回泣きながら出勤してました。笑
よく泣いてますね、私。笑

唯一の救いは
同期がみーんないい人達だったことです!
仕事終わりにみんなで飲みにいって
仕事のストレスを解消してましたね!
同期の一人がものまねが得意だったので
いつも職場の先輩の物まねを見せてくれて
みんなで大笑いしてました!笑
職場は大嫌いだったけど
同期は大好きでした!
すぐに辞めなかったのは
同期のおかげだったと思います。

それでも1年過ぎても慣れるどころか
仕事が嫌になる一方
辛くなる一方でした。

「この先どうしよう。」
「この病院で働き続けることはもう考えられない。」

って思い始めてましたね。
で、今後のことを考えて色々調べる中で
「青年海外協力隊」
という
海外で2年間ボランティア活動をする
国の制度みたいなのを見つけたんですよ。
元々「国際協力」に興味があったのもあって

「これだ!!」

と思いましたね。
それからは自分の目指すものがはっきりしたので
仕事も辛くなくなったというか
仕事に興味を失ってました。苦笑
心を無にして働きながら
青年海外協力隊の説明会に参加して
書類を準備して、応募
無事合格しました!

青年海外協力隊に応募するのと同時位に
職場にも
「辞めます!」
と伝えていて
仕事は結局2年3か月で退職しました!

2年3か月って一般的にみたら短い方だと思うけど
私にとったら「もう限界!」を
3回くらい繰り返して
ぎりぎりまで踏ん張っての2年3か月でした。
だから辞めてからも後悔も何もなく
すっきりしてました。
もっと早く辞めても良かったな位に、思ってましたね。笑

今でも地獄のような
2年3か月だったと思うけど
それでもこの辛くてたまらなかった経験も
意味があったんだなと思ってます!

まず死ぬほど辛い経験をしたことで
ストレスへの対処方法が身に付きましたね!
落ち込んだ時は
こういう風に視点を変えてみるといい
とか考えられるようになりました。
あとは、自分のキャパシティとか
何が向いてて何が向いてないとかも
すごくわかるようになりました!
辛い世の中を生き抜くために
必要な力が身に付いたって感じです!笑
もう二度と戻りたくはないですけど。笑

夢が叶った青年海外協力隊時代

そんな感じで看護師の仕事を辞めてからは
数か月間、派遣看護師として食いつないでました!
訪問入浴の仕事をしてましたよ~!

で、退職して半年後位に
中米のスペイン語圏の国に派遣されて
そこで2年間看護師として活動しました!

産婦人科での勤務歴を活かして
現地の保健センターで
妊婦さん達に保健指導をしてました!
母乳育児とか栄養、家族計画について
指導をしてましたよ!

私が派遣された国は1年中暑くて
日中は一年を通して40℃近くありましたね~!
普通に生活してても
日本にいるときの2倍の早さで
体力が消耗してく感じ。笑
だから
常に50%位のコンディションで生きてましたね。笑
あとは、特に最初は言葉の壁があったし
現地の食べ物が口に合わなかったり
一緒に働く人たちと価値観も考え方も違うから
自分のことを理解してもらうのが難しかったり…
苦労しましたね!苦笑
すごくストレスフルでした!笑

行く前は

「現地の人と全く同じ生活をするぞ!」
「現地の人になる勢いだ!」

て感じだったのですが
現実はそうもいかず。笑
過酷な環境の中で
どれだけ工夫して
2年間やり過ごすかに、必死でした!笑
「旅行」と「住む」は違うし
「住む」と「働く」もまた違うなと
身をもって思い知らされました。

そんな辛い時期でしたが
学ぶことも沢山あったし
心から「幸せだな~!」って思うことも
沢山ありました!
一番は、2年間働く中で
現地人の親友が出来たことですね!
来たばかりの頃は
自分に現地人の親友が出来るなんて
思ってもみませんでした。
だって言葉も考え方も違うし
「親友」なんて呼べるくらい
根本的に分かり合えることはないと思ってたんですよ。

彼女は同じ職場の同僚で
一緒に妊婦さんに保健指導をしてました!
私のつたないスペイン語を一生懸命聞いてくれて
何が言いたいか
すぐ理解してくれるんですよ。

一度、辛くてたまらないことがあって
彼女の前で泣いてしまったことがあったんです。
その時も沢山励ましの言葉をかけてくれて
一緒に泣いてくれて、抱きしめてくれました。
仕事以外でも、彼女の家に招待してもらったり
一緒に出かけたりしました。
本当に、彼女がいなかったら
2年間全うできなかったんじゃないかと思うくらい
支えてもらってましたね。
今もSNSで連絡を取り合ってますよ!
距離はあるけど
それでも遠くから
いつも支えてもらってるなと思います。

あとは、2年間海外で生活したことで
世界へ出ることへのハードルが
自分の中ですごく低くなりました。
世界各国に
同じ青年海外協力隊の仲間が派遣されてるというのもあって
世界をより身近に感じることが出来るようになりましたよ。

例えば、日本で
「○○国でデモがありました。」
ってニュースを観ても
青年海外協力隊に参加する前だったら
完全に他人事で、聞き流してたんですよ。
それが、今は同じニュースを観たら
「あ、○○国って協力隊同期の△△さんが派遣されてたところだ!」
って、自分のことのように聞き入ってしまいます。
この感覚って日本で生活してたら、
あまり感じることが出来ないと思います。
なので、そういう意味でも
青年海外協力隊に参加して良かったなと
心から思いましたね。

2年間の間も
「日本に帰ったら何しよう…」
と考えてはいたけど、明確に
「これがやりたい!」
というのはなかったですね。
ただ前の職場での辛かった経験があったから
この時点では

「もう看護師には戻りたくない!」

と思ってました。笑

看護師の仕事を好きになれたクリニック時代

そんなこんなで無事に
2年間の青年海外協力隊生活を終えて
日本に帰国!
本当は、帰国後数か月は
働かないでゆっくりしようかなと思ってたけど
2週間位で
「暇すぎる!」
って発狂しそうになって。笑
お金もなかったし
とりあえず位の気持ちで
看護師の仕事に復帰することに決めました!

看護師の仕事に復帰すると決めてすぐに
求人を探し始めました。
前の職場で
もう夜勤はこりごりだったのと
産婦人科系以外は全く興味がなくて
働きたくなかったので
「産婦人科系の夜勤がないクリニック」
で探しましたよ。

ある程度、ここで働きたい!
っていう求人に目星をつけてから
その求人が載ってる求人サイト
問い合わせました。
転職エージェントさんが
すぐにそのクリニックにアポを取ってくれて
3日後位にはもう面接してました!笑
で、無事に採用!
不妊治療専門のクリニックで
約2年半のブランクを経て
看護師として復職することになりました!

希望の条件の職場に採用されたのはいいものの
看護師としてブランクもあったし
何より前の職場のトラウマがあったので
復職が本っ当に怖くて溜まらなかったです…。苦笑

とりあえず睡眠を制することが出来れば
ベストコンディションで働けるだろ!
って考えて
復職前に入眠しやすくなるハーブティーを買ったり
薬局で睡眠薬を買って
家にストックしたりしてました。笑
それくらい

「また前に働いてた時と同じ状況になったらどうしよう…」

ってめっちゃビビってました…。笑

実際に働き始めてからも
慣れるまでの半年間位は、辛かったですね。笑
仕事以外の事は、考える余裕がありませんでした。
休みの日も、次の日の事を考えちゃって
友達と遊ぶ心の余裕がありませんでしたね。
次の日の事を考えて
18時とかに寝てました。笑
キャパが狭すぎて
一つの事しか出来ないんです。笑

ただ職場は本っ当に良い職場で!
とにかくみんな優しくて働きやすくて
この職場を選んで本当に良かったなと思いました。

ブランクがあったから
採血もルートキープも
全然自信がないまま入職したんです。
でも職場のみんなが

「一緒に練習しよう!」

って言ってくれて
私の練習のために
腕を貸してくれました。
おかげで、前の職場にいた時よりも
採血もルートキープも上手になりましたよ!
患者さんにも、褒めてもらえるようになりました。笑

この職場で沢山の事を学ばせてもらったけれど
一番の収穫は、この職場で働き始めてから
看護師人生で初めて

「あれ、私看護師の仕事好きかも。」

と思えたことです!

前の職場での経験から
一生看護師の仕事を好きになることはないと思ってたので
自分でもびっくりしたし
なんだか嬉しかったです。笑
そう思わせてくれたのは
職場の環境が整ってたから
心身ともに余裕があったというのはもちろん
患者さんとの関わり
大きく影響してたのかなと思います。

患者さんと関わるのが楽しいって思えたのも
この職場で働き始めてからだったんですよね。
不妊治療のクリニックだったので
継続的に通ってる患者さんが多かったです。
診察のあとに看護師が
薬や今後のスケジュールの説明をするので
ほぼ毎回患者さんと
面と向かって話をするんですね。
だからすぐに顔も覚えるし
その人がどういう性格かとかも
だんだんわかってくるんですよね。笑
こう言ったら、こういう反応しそうだな~とか。笑
本当にみんな個性的で。笑
患者さん達のことを知れば知るほど
愛着が沸いてくるんです!
今思えば、病棟で働いてた時は
業務と看護記録に追われて
あまり患者さんの目を見て
ゆっくり話したことがなかったなと思います。
記録を書くための会話になってましたね。

あと患者さんも
看護師のことを
すごくよく見てくれていて。笑

「採血一番痛くないです!」
「いつも上手ですね。」

とかたまに言ってもらえるのは
もちろん嬉しいんですが

「髪切りましたね~。」とか
「パーマかけました?」とかまで

まぁよく気づくなあって。笑
そういう、業務的なことから個人的なことまで
見てくれてることって
個人的にすごく嬉しいことでした。

そんな風に
とっても素敵で大好きな職場だったけど
働きながらも

「自分がやりたいことって、このクリニックでずっと働き続けることじゃないな~。」

という思いを
ずっと抱えてたんです。
そんな風に考える中で
多分中学生くらいの時から抱いていた

「いつか世界一周したい」

っていうを思い出したんですね。
世界は広いのに
それを見ないまま死ぬなんてあり得ない!
もったいない!
ってずっと思ってて。笑
で、いつかいつかって思い続けてきたけど

「そのいつかって今じゃない?」
「今逃したら行けない気がする。」

って思ったんですよ。
だって、もうすぐ30歳だし。笑

そんな感じで世界一周するって決めて
決めた一週間後には

「世界一周したいんで辞めます!」

って職場に伝えてました。笑
そんなぶっとんだ退職理由だったのに
本当に理解がある職場で

「早めに言ってくれてありがとう!」
「いいなぁ、楽しんできてね!」

と送り出してもらいました。
優しすぎる…。涙

退職の意思を伝えてから1年後に
1年8か月働いたクリニックを退職しました。
自分の想像以上に長くいたのは
このクリニックのことを
すごく好きになっちゃったからですね。笑

今後のことと看護師という仕事について

ということで
これからずっと夢だった、世界一周に行ってきます!笑

帰ってきてからのことは
正直何も考えてません!笑
ただ、最近今後の自分の
「働き方」「生き方」について
すごく考えます。

ライターの仕事をしてみたいと思ったのも
その一環です。
自分の知識や経験を文章で表現して
人に読んでもらう。
そうして読んでくれた人が
自分が書いた文章を通して
少しでも何か感じてくれたら
すごく嬉しいことだなと思いました。
さらに、それを仕事に出来たら
もっと素敵なことだなと思います!

こんな風に、
今私が自分の働き方や生き方を
わりと自由に考えられるのも
自分の看護師っていう職業のおかげだなと思ってます。

大学生の時は

「もう看護師を目指すしか道がないんだ。涙」

って、看護師を目指したことによって
自分の生き方の選択肢が
すごく狭くなったように感じてたんですね。

でも今はその真逆だなと思っています!
こんなに自由に生きられる職業
看護師以外にないと思います!笑
(いや、そんなことないかもしれないけど。笑)

看護師っていう仕事を選んだ過去の私グッジョブ!

って本気で思います!笑

CHECK!【実体験】転職なんて諦めかけてた私の転職ストーリー

私は本気で看護師さんに幸せになって欲しい

私は辛いままの看護師さんを救いたい!

これまで書いた記事は200記事。

これだけ情報を集めてきて思うのは
耐えてるだけでは状況は変えられないってことです。


看護師れもん

給料が低くても
体が、心がボロボロでも
耐えてるだけでは何も変わりません!


そんな中一番確実で簡単なのが転職することです。


  • 職場では怒られてばかり
  • 会話すら楽しめない
  • 勤務中に涙が止まら無い
  • 心に余裕がなくて家族にも迷惑をかける

こんな暮らしをしてきた看護師さんが、1ヶ月後には


  • 給料が上がった
  • 同僚との会話が楽しい
  • 子供と会える幸せな毎日
  • プライベートも楽しめる

って暮らしをしてたりします。

看護師れもん

行動した人の生活は
変わっていっています!


学生時代から勉強して受験に受かって
看護学校で勉強し
壮絶な看護実習を仲間と乗り越えて
晴れて看護師になって・・・我慢地獄。



こんな人生おかしい!
苦しいだけの看護師はやめましょう!


看護師って、もっと幸せに働くことができます。

4つのポイントさえ押さえれば
看護師で超幸せになることは可能なんです!


看護師として幸せになる転職術をこちらの記事で解説してます!
耐えるだけの看護師を終えたい方は読んでみて下さい。


看護師れもん

この記事があなたの人生の転機になる!

CHECK!「看護師の幸せを作る4ヶ条」これさえ知れば転職も安心!

何もしなかったら変わりませんよ!^^;


忙しいのはわかりますが、いつだって忙しいはず・・・。


今、1分読んでみるだけで
この先30年の人生が変わるかもしれないんですから
ちょっと立ち止まって読んでいって下さい♪