【私の看護師人生】押し付けられる役職。心と体の不調。「私は転職を決意した。」

こんにちは!

当サイトで記事を書いている本物の看護師ライターの『かもしか』です!

 

今回は私の今に至るまでのお話をしたいと思います。

 

私はどのようにして看護師になったのか?

人生での挫折は?

 

私の短い人生でも、
いろいろな悩みがありました。

 

私の話を聞いて
悩んでいる看護師の方に
少しでも励みになればと思います。

 

また、この記事を読んで
私も転職しよう!
と思う方もいるかもしれません。

 

そんな方々の
人生の一歩を踏み出すような
お話をできればと思います。

自己紹介

出身

私は自然の多い長野県出身です。

生まれも育ちも長野県です。

 

信州は夏は涼しいと思われがちですが、
ほとんど盆地なので、普通に暑いです。

 

そのかわり、冬はめちゃめちゃ寒いです。

1日マイナスの日も普通にあります。笑

年齢

年齢は26歳です。

21歳で看護師になりました。

今は5年目で、春から6年目になります。

家族構成

家族は父、母、姉、妹、私の5人家族です。

近くに祖父母が住んでいます。

最近は家族が増え叔母になりました!

また、24歳の時に結婚をし、
現在は夫と2人で暮らしています。

趣味

趣味は信州の冬は雪だらけなので
冬はスノーボードをやります!

また、DIYをすることが好きで、
食器棚を作ったりしています。

あとはいろんなカフェや雑貨屋さん
をめぐる事が好きです!

ペット

実家に1匹猫を飼っています。

あまり人懐っこくないのですが、
私が実家に帰ると
超歓迎してくれます。

それはそれは可愛いです!!

私の今に至るまでの経過

生まれてから

次女として生まれた私は
2歳年上の姉に
新しいおもちゃのように遊ばれていたそう・・・。

年齢が近い兄弟になると
そうなっちゃいますよね。笑

保育園

なんせ次女の私。

超マイペースでした。

外で激しく遊ぶことより
家にいることが好きなタイプでした。

出かけると
「早くおうち帰ろうよー」
という子だったそうです。笑

小学校

小学校に入った私は、
一人の女の子と出会いました。

その子とは今でも交流があります。

 

その女の子はちょっと変わった子で

授業中に気に入らない事があると
教室を出ていってしまう子でした。

 

仲の良かった私は
いつもその女の子を追いかけて
慰めて、話を聞いて、
なだめて、教室に連れて帰る

ということを
よくやっていました。

 

なぜそんな今思えば
めんどくさいことができたのか・・?

 

そのころ私は
人の話を聞くことが好きで、

誰かのためになるような仕事がしたい!

と卒業文集に書いていました。

 

このころは
心理カウンセラーになる事が夢でした。

 

そういったことから私は
その女の子を放っておけず、
追いかけていたのだと思います。

 

小学校の頃、私は習い事として、
水泳教室に通い始めました。

 

当時は姉が通っていたので
羨ましくてついていったのですが

結局高校卒業するまで
水泳にのめりこみました。

 

現在でも趣味として、
たまに泳ぐ事もあります。

中学校

中学校に入った私は
相変わらずその女の子と一緒に居ました。

 

水泳に対して
それはもう一生懸命で
スイミングクラブに日々通っていました。

 

水泳は練習はキツイけど

やり切った達成感が良くて泳いでいました。

 

性格上
「あいつを倒してやりたい!」
というよりは
「練習いっぱいして、自己ベストを更新したい!」
という戦いには向いていない性格でした。笑

 

中学校の時に授業で
二十歳の自分へという
タイムカプセルのようなものを作りました。

 

そこにも将来の仕事には
「誰かの役にたつ仕事をしている」
と書いてありました。

 

そのため、将来の夢も変わらず心理カウンセラーでした。

高校

高校の私は
今まで勉強が嫌いだったせいもあり、
普通の高校に何とか通う事ができました。

 

ただ、私は勉強が嫌いだったため、
授業を受けても窓の外ばかり
見ていて、ダメダメな生徒でした。

 

成績もあまりよくなく、
ただ欠席はしないので

真面目なバカ

というタイプでした。

 

ただただ水泳だけやっている
お馬鹿さんでした。笑

 

このころ将来の事を考えて
学校とか調べ始めるようになりました。

 

私はもともと
心理カウンセラーになりたかったので
心理カウンセラーを調べたのですが

  • 私の学力では難しいこと
  • 給料が思ったより少ないこと
  • さらに需要もあまりないこと

がその時点でわかりました。

 

これは・・・なんてこった。

絶望しました。

 

ずっとなりたかった心理カウンセラーは
私には難しい職種だったのです。

 

すると私はなんと高校3年の夏まで
やりたい事も見つけられず

大学も見つけられずプラプラしてしまったのです。

 

しかし看護師だった母に勧められ
看護の道を目指すことになったのです。

専門学校

専門学校はとっても辛かったけど、
何よりも楽しかったです。

 

授業は一つも休めないです。
それくらい厳しい学校でした。

 

また、私は寮生だったのですが

寮と学校が併設されており
授業をさぼったりすると

先生が部屋までやってくるのです!

 

ありえないですよね!!

 

今ならプライバシーの侵害ですよ!

でも当時はありえたのです。笑

 

先生が部屋までやってきて
「○○さん?授業こないでどうしたの?」
って来るんですよ!

それは授業さぼれないですよね!

 

しかも、門限とか、点呼があったり、
掃除当番があったり、

学年で、生活できる場所が決まっていたりしました。

 

しかも!
先輩と必ず同室なのです!

 

もはや牢獄なんじゃないか・・とすら思いました。

 

テレビも1台しかなく、チャンネル権利は3年生だけ。
当時はガラケーだったため、テレビなんて
見れませんでした。笑

 

でも、専門学校は一番楽しかったです。

 

同じ看護師を目指す仲間に出会えて、
同じ釜の飯を食い、
同じ風呂に入って、
ともに寝泊まりする

 

これが、みんなの絆を強くしました。

 

そのおかげで
辛い実習や国家試験を
乗り越えることができました。

就職

就職は地元の病院にしました。

第二次救急病院でした。
病院自体が急性期でした。

私たちは就職活動というものはなく、
同じ系列の病院へ配属されるというシステムでした。

そのため、面接などはなく、
用紙に希望の病院を書くだけでした。

現在

現在の私ですが、
病院へ配属されてから、まず、
腎臓・泌尿器科病棟に行きました。

 

そこで2年間働き、
異動が出て、
現在のHCUへ異動しました。

 

HCUには3年働いています。

 

忙しいことだらけで、
怖いこともたくさんありますが、やりがいもある病棟です。

私はどうして看護師になろうと思ったのか

そもそもどうして心理カウンセラーを
めざしていた私が

看護師になろうと思ったのか、
お話します。

 

きっかけは2つありました。

 

事の始まりは中学生の時に
父方の祖父が亡くなったことです。

 

亡くなる前、危篤状態の
祖父に会い、ただ泣くことしかできなかった私。

 

しかしその側で看護師が
テキパキ仕事をしたり、
祖父の体位を整えたりしていました。

 

その時に
「看護師すごいなーー」
と漠然と思っていました。

 

しかし、その頃はまだ、
心理カウンセラーになりたかったので

そのまま、感心して終わりました。

 

そして高校3年生の夏です。

心理カウンセラーが難しいとわかり
絶望して何もしなかった私。

 

しかし、夏に
母が体調を崩し、入院をしました。

手術をして無事よくなったのですが、
1か月も入院しました。

 

その時に自分にできることは何か・・!

まず進路を決めることなんじゃないか!

 

と思い立ったのです。

その時に思い出したのが、
祖父が亡くなったときの事です。

「あの時看護師さんすごかったなー・・・。」

 

と思い、看護師を調べると、
私でも行ける学校があったのです。

 

しかも給料もよく、需要も多い!

さらに後押しで、母からも
「看護師目指してみたらどう?」
と勧められました。

 

これは!
看護師になるしかない!
そう思い、看護師を目指す事になったのです。

 

これが私が、看護師を目指すことになった理由です。

看護師になってからの私は・・

看護師になって新人の私は

「大変!」
「実習と全然違う!」
「患者さんとの関わりなんて全然取れない!」

という驚きと絶望でした。

 

腎臓・泌尿器科病棟とはいえ、
急性期病院のため、日々が忙しく、
患者さんとの時間が全然取れないんです!

 

実習の頃は患者さんの横に座って、
談笑までできたのに・・・

全然違うじゃんー!

って思っていました。

 

それも徐々に慣れ、2年間を
腎臓・泌尿器科病棟で過ごしました。

 

2年同じ職場にいると
仕事のペースも慣れますし、
何より人間関係に慣れました。

 

しかも、看護師は噂話が好き
と聞いていたので心配だったのです。

 

しかし、その病棟は
私の心配をしてくれる
お母さん的存在の方がたくさんいました。

 

最初は年上の先輩ばかりで
怖くて、怖くて・・
という感じでした。

 

長くいると先輩たちから
ちゃんとご飯食べてるの⁉」
とか
「変な男と付き合ったりしてない⁉」

みたいな事を言われていました。笑

 

そんな先輩たちに囲まれて
2年たった時に
HCUに異動が決まりまってしまいました。

 

異動が嫌だった私は
嫌々異動しました。

 

なぜなら今までいた場所を
離れたくなかったのも大きいですが、
腎臓・泌尿器科病棟をやってみて

私には慢性期が向いているんじゃないか・・?

 

と思っていたからです。

なのに、急性期の代名詞のような
病棟へ異動になってしまったのです。

 

HCUはそれはそれは大変でした。

新人の頃の

「患者さんと関わりたい!」

という気持ちが薄れていくのを感じました。

 

それくらい忙しい病棟でした。

 

勉強もニガテだけど
今まで以上にたくさん勉強しました。

外部の勉強会に参加もしました。

 

私のいるHCU病棟は
脳卒中の第一選択病棟になっていたので、
脳卒中の患者さんがバンバン来ます。

 

その患者さんに対応できるように
資格も取りに行きました。

そのくらいHCU病棟で頑張っていました。

こうして私は転職しようと思った

HCUに入ってからの私は
緊張感
勉強しないとという焦り
新しい人間関係への不安
これでいっぱいでした。

噂話が好きな先輩たち

HCUは若い看護師が多くいました。

また、パワフルなバリバリ
働くタイプの看護師がいっぱいいました。

 

以前いた腎臓・泌尿器科病棟では、
お母さんのような看護師が
おおかったため、大きなギャップでした。

 

また、若いせいか、
噂話が大好きな看護師が多くおり

ちょっとでも
プライベートの話をすると
すぐに周りに広まってしまうのです!

 

例えば、ある日の事。

先輩に彼氏がいるのか聞かれ

恐々正直に
「います・・」
と答えました。

 

すると先輩は
「ふーん。そうなんだ。」
と言って彼氏の話をいくつか聞いてきました。

 

しばらくすると
さっきとは違う先輩から
「ねーねー、彼氏ってどんな人?」
と言ってきたのです!

 

私は
「えっ⁉」
と言いました。

 

さっき彼氏の話をしてから、そんなに
時間は経っていないし、
全く違う先輩から彼氏の事を言われるなんて・・・。

 

怖っ。

 

それしか思えませんでした。

そこからこの病棟は噂話が大好きなんだ。

と気づいたので、話すことにはとにかく注意しましたね。笑

あまりよくない人間関係

また、HCUはなぜかみんなが
ちょっとずつギスギスしていました。

 

勉強ができなくても
「あいつダメなやつだ」
という人もいます。

 

そういう人をけなすような人たち
中にいると、とても嫌気がさしました。

押し付けられる仕事

私は4年目の時に
新人教育を任されました。

 

まだHCUに異動してから1年しかたっていません。

HCUの事なんて、私だってまだまだ勉強中なのに。

 

そう師長さんに訴えましたが、
受け入れてもらえず・・。

 

さらに先輩から押し付けられた
時間外の委員会をやっていました。

 

おかげで仕事終わりで
定時にかえれた事なんて、ほとんどありませんでした。

 

何とか1年やり通し、
5年目になりました。

 

すると今度は師長さんに
「チームのサブリーダーをやってもらいたい」
と言われました。

 

HCUにきてまだ2年で
みんなを統率する補佐のサブリーダーをやると⁉

 

って思い、断りました

 

すると師長さんは
「じゃあ今年も新人教育やってね。断ったんだから。」
言いました。

 

それにはさすがに断れず、
「はい。わかりました。」
半ば強引にサブリーダーにならされました・・・。

 

しかししばらくすると、
「じゃあ看護研究もやってもらおうかなー」
と言われました。

 

えっ何⁉

 

と思い
「なんですか?」
と聞き返したところ

「看護研究よ。5年目だしやってもらおうかと思って。」
「新人教育も2年目なら大丈夫でしょ?」

と言ってきたのです。

 

いやいや。笑

 

新人教育って2年目になると楽になるの?
看護研究って超大変じゃん・・・。

 

断ろうとしたけれど
なかなかその隙を与えてくれず・・

とても押し付けられた感満載で
仕事をやる事になりました。

 

さらに、他の先輩から
「委員会やってくれない?」
と言われ

すでにこんなに仕事を
任されていると訴えたものの
聞き入れてもらえず・・・。

 

時間外の委員会までもう一つ増えました・・・。

 

そのため、私は、
新人教育、看護研究、
時間外の委員会2つ

と掛け持ちをすることになりました。

 

やはりそうすると、自分の時間が取れません。
看護研究も新人教育もとても大変で、
家に帰るのは寝るだけになってしまいました。

「辛いです」
「大変です」
と訴えても、

「まだ若いじゃんー。大丈夫、大丈夫!」
とか言われて終わりです。

 

最悪。

体調が続くようになる

そうこうしているうちに
秋になりました。

 

私は相変わらず看護研究と新人教育
委員会でバタバタしていました。

 

すると、私に体調不良が続くようになりました。

 

なんとなく元気がなく、
食欲もないし、楽しいことがないのです。

 

自分の休みも看護研究をやっていたので、
ずっと体がだるかったです。

きっと看護研究とかで疲れているんだろうなー
と思っていました。

 

ある日冬に実家に帰ると、
家族から、
「そんなに元気ないのはおかしい!」
「病院に行くよ!」
と言われ、病院へ行きました。

 

すると・・・。

 

心の病気だったのです!

私もびっくりです。

 

ちょっと仕事で疲れているだけと思っていたら、
すでに体は限界だったのです。

 

そういえば・・・
着替えもおっくうだったし、
爪を切る事すらおっくうだったなー。
食欲もなくて、3キロくらい痩せてたし・・。

たまに会う友達とも
全然楽しく遊べないし。

お笑いが好きなのに、見ても
全く笑えないし・・。

 

よく考えると、おかしなことが
たくさんありました。

 

すでに秋頃から怪しかったと
病院の先生に言われました。

 

そんなになるまで、私は
自分の体を酷使していたのです。

こうして私は転職をすることにした

もうこんな環境からは抜け出そう!

そう心に決めました。

自分の人生は1回しかありません。

その人生をこんな、
大変で、辛くて、
体を壊してまですることなのか・・。

と思ったのです。

一度しかない自分の人生。
せっかく看護師になる事ができたのに。

そう思いました。

そうして、私は
転職をすることに決めたのです!

その後の私

その後の私は
たくさんの転職サイトを調べるようになりました。

長野県なので、求人が
たくさんあるわけではないので

転職した達に話を聞いたり
実際の口コミをみて、転職の準備をしています。

転職しよう!

と思ったことで、
今の病院にずっといなくていいんだ!
と思え、心がすっきりしました。

転職をすれば、もうあんな風に
仕事を押し付けられたりしない場所にいけるんだ・・!

とか、

今よりは確実に幸せな生活が送れるんだ!

と思うと元気が出てきました。

 

転職をしたら今よりもっと
人間関係のいい所に就職してやるんです!

それを今は生きがいにしています!

まとめ

元々はっきりと意見を
いうことのできない性格だからこそ、
たくさんの仕事を押し付けられ、

結果、体を壊してしまうことになってしまいました。

自分の人生は1回しかありません。

その大切な人生を
苦しい・・・
辛い・・・
と思い続けて働くなんて
もったいない!

今そう思っている人がいたら、
ぜひ私のように
転職をしましょう!

きっといい未来が
開けるはずです!

皆さんにもそう思っていただけて、
転職するきっかけになってもらうと
幸いです。

CHECK!【実体験】転職なんて諦めかけてた私の転職ストーリー

私は本気で看護師さんに幸せになって欲しい

私は辛いままの看護師さんを救いたい!

これまで書いた記事は200記事。

これだけ情報を集めてきて思うのは
耐えてるだけでは状況は変えられないってことです。


看護師れもん

給料が低くても
体が、心がボロボロでも
耐えてるだけでは何も変わりません!


そんな中一番確実で簡単なのが転職することです。


  • 職場では怒られてばかり
  • 会話すら楽しめない
  • 勤務中に涙が止まら無い
  • 心に余裕がなくて家族にも迷惑をかける

こんな暮らしをしてきた看護師さんが、1ヶ月後には


  • 給料が上がった
  • 同僚との会話が楽しい
  • 子供と会える幸せな毎日
  • プライベートも楽しめる

って暮らしをしてたりします。

看護師れもん

行動した人の生活は
変わっていっています!


学生時代から勉強して受験に受かって
看護学校で勉強し
壮絶な看護実習を仲間と乗り越えて
晴れて看護師になって・・・我慢地獄。



こんな人生おかしい!
苦しいだけの看護師はやめましょう!


看護師って、もっと幸せに働くことができます。

4つのポイントさえ押さえれば
看護師で超幸せになることは可能なんです!


看護師として幸せになる転職術をこちらの記事で解説してます!
耐えるだけの看護師を終えたい方は読んでみて下さい。


看護師れもん

この記事があなたの人生の転機になる!

CHECK!「看護師の幸せを作る4ヶ条」これさえ知れば転職も安心!

何もしなかったら変わりませんよ!^^;


忙しいのはわかりますが、いつだって忙しいはず・・・。


今、1分読んでみるだけで
この先30年の人生が変わるかもしれないんですから
ちょっと立ち止まって読んでいって下さい♪